2016年11月24日更新

弥生・古墳時代は中国文献で覚える。古代に時間をかけたくない人が弥生・古墳で高得点を狙うコツ

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古代に時間をかける余裕がない受験生は弥生・古墳時代を中国文献で覚えるべき

近世以前の時代でとくに受験生が捨てがちなのが弥生・古墳時代です。弥生・古墳はとにかく情報量が少なく、復習するにしても何を覚えればいいのかがいまいち掴めないことが多いのです。

ですが情報量が少ないからと言って入試に出題されにくいかといえばそうではありません。センターでは土器や鉄器の資料問題が頻出ですし、私立一般でも倭国と中国の関係はよく問われます。

代の復習に時間をかけたくない人が弥生・古墳をカバーするためには中国文献を使って暗記するのが一番です。

弥生・古墳時代はまだ倭国で文字が広くは使われていませんでした。今日本史の教科書に載っているこの時代の歴史的事実は、ほとんど中国文献に書いてあった情報なのです。

つまり中国文献さえマスターしてしまえば、それだけで教科書の内容はほとんど頭に入っているということになります。

今回は、これさえ覚えれば大丈夫という中国文献5つを紹介します。

倭・倭人の記述がある主な中国文献5つ

①漢書『地理志』
②後漢書『東夷伝』
③魏志『倭人伝』
④高句麗好太王碑文
⑤宋書『倭国伝』

覚えるべきはこの5文献です。④高句麗好太王碑文は中国ではなく朝鮮のものですが、大陸から見た倭の様子を中国と似た立場で書き残しています。

では、それぞれの内容について見ていきましょう。

漢書『地理志』

夫れ楽浪海中に倭人有り。分れて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ。

楽浪海中には倭人がいる。(倭国は)分裂して百あまりの国になっている。定期的に来て献見したいと言う。

編者の班固によって1世紀初頭に書かれたとされています。倭に関する記述のある文献としては最古のものです。

「楽浪」は、前漢の武帝がBC108年に朝鮮に置いた4群のうちのひとつである楽浪郡のことです。

後漢書『東夷伝』

建武中元二年倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。……光武、賜ふに印綬を以ってす
安帝の永初元年、倭国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願ふ。桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐し歴年主なし。

建武中元二年(57年)、倭の奴国が貢物を献上した。使者は自らを大夫と称した。……光武帝は、印綬を賜りものとした。
安帝の永初元年(107年)、倭国の帥升らが、奴隷百六十人を献上し、請見を願ってきた。桓霊の間(2世紀後半)、倭国は大いに乱れ、多大に攻めて討伐し合い長く君主がいない。

後漢書『東夷伝』には主に1、2世紀の倭の様子が書かれています

奴国王が光武帝より授かった印綬は、福島県志賀島で発見された漢委奴国王」と刻まれた金印だと言われています。卑弥呼が魏から授かった印綬と区別するようにしましょう。

資料問題では「奴隷を意味する言葉を漢字二文字で書け」=「生口」と書かせる問題が頻出です。年号も2つしかないので覚えておきましょう。

魏志『倭人伝』

其の国……乃ち共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰ふ。鬼道に事へ、能衆を惑わす。
景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣して郡に詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。……今汝を以て親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し、……銅鏡百枚・真珠・鉛丹各々五十斤を賜ひ、皆装封して難升米・牛利に付す。

その国は共同である女を立てて王とした。名前は卑弥呼という。(卑弥呼は)呪術に長け、民衆を占うことができる。
景初二年六月(239年)、倭の女王は大夫難升米らを郡へ派遣し、天子に会って朝貢することを求める。…(天子は)今あなたを親魏倭王と認め、金印紫綬を渡し……銅鏡百枚、真珠、鉛丹それぞれ五十斤を賜い、それらを包んで難升米・牛利に持たせた。

卑弥呼が魏に使いを送っていたため、魏志『倭人伝』には卑弥呼だけではなく、邪馬台国の人々の生活についての記述もあります。余力があればチェックしておきましょう。

魏志『倭人伝』に関してよく問われるのは、卑弥呼が得意としていた「鬼道」とは何か、という問題。答えは呪術です

また、卑弥呼の金印と倭の奴国の金印を混同しないようにしましょう。奴国の金印はさっき説明した通り福岡県で発見されていますが、卑弥呼に送られたという金印は発見されていません。

高句麗好太王碑文

百残・新羅は旧是れ属民にして、由来朝貢す。而るに、倭、辛卯の年よりこのかた海を渡りて、百残・□□・新羅を破り,以て臣民と為す。

百済、新羅は属民なので、(高句麗に)朝貢している。しかし、倭が、辛卯の年(391年)からこのかた海を渡って、百済、□□、新羅を破り、そして臣民とした。

4世紀末の倭国と朝鮮半島の関係が書かれています。高句麗好太王碑文によると、倭国は朝鮮半島に攻め入り百済や新羅を破って属国としたものの、高句麗に大敗し朝鮮半島から撤退しました。

ただし高句麗好太王碑文の信憑性は低く、倭国をトリックスターとして利用しただけではないかという説もあります。

宋書『倭国伝』

興死して弟立つ。自ら……安東大将軍倭国王と称す。
順帝の昇明二年、使を遣わして上表して曰く、……東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国……。

興が死んで弟の武が王になった。(武は)自らを安東大将軍倭国王と称した。
順帝の昇明二年(478年)、使いを送ってきて言うには、…(自分は)東は毛人を征服すること五十五か国、西は衆夷を征服すること六十六か国、海を渡って海北を治めること九十五か国……。

倭の武帝、すなわち雄略天皇が宋に使いを送り、安東大将軍と認めてもらったという内容の文献です。

よく正誤問題で出題させるのが、毛人と衆夷と入れ替えるパターン。衆夷と蝦夷を混同して衆夷=東とならないように気をつけましょう。海北とは、海の北ですから朝鮮のことを言っています。

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